
代表 宇治川金雄さん
井上清市さん
収録日:2026年8月9日 山寺 磐司祭
公開日:2026年9月29日
鹿楽招旭踊り
860年山寺が開山された頃慈覚大師円仁は、山寺一帯を治めていた磐司磐三郎という狩人から土地を借り受けた。殺生禁止の地としたことで、獣たちは喜んだ。鹿楽招旭踊りは、磐司磐三郎に感謝し、獣を代表してカモシカが踊ったのが始まりとされている。
山形市上東山平石水(ひらいしみず)地区に伝わる鹿楽招旭踊は、かつて伝承されていた近在のシシ踊り(下東山田中、中里、山寺、風間、荒谷など)と同じく、旧暦7月7日、山寺の例祭(磐司祭)に立石寺を参詣して踊られてきた。これらのシシ踊りは「山寺系シシ踊り」と総称され、磐司祭との深い関わりの中で伝承されてきた。悪霊を鎮め五穀豊穣を祈ることが目的である。 昭和40年代に一時休止していたが、1977年に活動を再開したこのシシ踊りは、2027年に活動50周年を迎える。後継者不足という深刻な課題を抱えながらも、担い手の拡大と外部連携によって継承の見通しが立ちつつある。
踊りの内容と歴史
演目の変遷
かつて約40分あった演目を、現在は見せ場を凝縮した約15分に再構成。踊りは鹿の家族の営みを描いており、「鹿を尋ねる」という歌詞を含む。
名称の由来
「鹿楽招旭踊り」という名称の明確な由来は不明だが、高擶地区の「夕日踊り」に対して動きの活発さを「朝日」と称したとの説がある。仏教布教由来の系統が村山地域に伝わった可能性もある。かつて地域内には中里・田中・切畑・風間・妙見寺など複数のシシ踊りが存在した。
継承の歴史
昭和22年、先代が巻物頂き(免許皆伝)を受ける。昭和52年、代表の宇治川金雄さん、井上清市さんが免許皆伝、お父様から引き継いでいる。
当初は「男子限定・家系限定」で運営していたが、担い手が4人まで減少。戸別訪問を繰り返したが限界を感じ、女性や地域外の参加者を受け入れる方針へ転換した。

獅子頭
獅子頭の特徴
黒い「前獅子」と青い「中長獅子」が主要な装飾。目には「ギヤマン」と呼ばれるガラスがはめ込まれている。
色彩の復元
約50年にわたり塗り替えられていなかったため、元の色はほぼ失われていた。塗装の剥がれた部分から青・緑の下地が発見され、さらに約5年前、紅花まつりを訪れた人物が同じ山車を描いた掛け軸を所有していることが判明。この情報を元に2022年、漆の職人さんに塗り替えをしていただき、色鮮やかな獅子頭となっている。
担い手の拡大と大学連携
芸工大の松田俊介准教授が3〜4年前に研究目的で来訪し、紅花祭・晩事祭を通じて交流を深めたことがきっかけ。2025年9月から学生さんたちが練習を開始し、同年11月20日村山地区発表会にて披露した。現在、男女合わせて約15人の学生が参加し、メンバー30名の平均年齢が60〜70代から大幅に若返った。
映像の磐司祭では、笛一人、踊り四人、太鼓一人が学生である。
学習方法の工夫
・後方撮影DVD:踊り手目線で撮影した映像をプロジェクターで大画面再生し、習得効率を向上
・楽譜の記号化:太鼓の打点を白丸・黒丸などで可視化した譜面を準備
・笛の練習:毎週日曜に1〜2時間、半年〜1年かけて基礎を習得
今後の展望
・大学サークルとして自走化し、大学の能舞台での上演を目指す
・卒業後も緩やかに参加を継続できる運営体制を維持
地域の現状と課題
平成初期に約240人・約50戸だった地域人口は、現在約140人まで減少。小中学生はほとんどおらず、地域だけでの維持は困難で、外部からの参加が不可欠となっている。全国的にも担い手不足は深刻で、山形県内でも活動停止団体が増えている。
他地域では田植え踊りなど学生サークルによる継承事例もある。集落消滅の危機は現実的だが、外部との連携と柔軟な運営によって存続の道を切り開こうとしている。
対外活動と交流
1977年の活動開始以来、東京(新宿・小牧劇場前など)や大阪の大丸デパート東北物産展などに参加。酒田と山形市の芸能保存連合会同士の交流も過去にあった。磐司祭では村山地方一円の団体が集まり共演する機会がある。研究者や教員との連携も深まり、山寺訪問・流しそうめんの催し・米沢での民族協議会講義など交流が継続している。
撮影:2026年8月9日 取材:9月6日 聞き手:菅野美奈子 撮影:伊勢博


